食事と健康の話が続いてますが、僕は普段こんな話を周りの人には滅多にしません。たまたま流れでなったらすることはあっても、そんな流れはまず普通にしていたら来ません。
今の世の中には様々な食事に関する考え方があります。そして不思議に思うのは、食事に関する考え方はなぜか、他人を巻き込もうとするいわば布教活動的な方向性に行きやすいように見える。という点です。良いもの(本人は良いと思っているんだから)を広めたい。これは人間誰しも思い抱く感情なんだけれども、ある一線を越えるとちょっとな〜って所がありますよね。共鳴欲求は食事に限らず音楽や映画などでも起こります。だけど多くのジャンルにおける共鳴欲求の満たされ方は、まあわりかし各々デリカシーを忘れず、知り合って間もない人などにはジャブ打ちからスタートしてボディーブローを仕込んでおいて、狙い通りに利いてきちゃってたらアッパーをキメるわけです。でも食事に関しては、けっこういきなり右ストレート入れてくる人がわりと一定数いる感じがする。ガードしてても、見えてない。
なぜだ?
わからない。
僕は、まず1つは美容(髪)の勉強と食事や健康の勉強がリンクしちゃうってのが実に面白いなと思ったこと。それとサロンワークちゅうの身体のパフォーマンスが食事で大きく左右されることが楽しすぎること。この2点がきっかけでセルフ人体実験を重ねに重ねて今がありますが、理想の食事を続けるのに、コツとルールを設けています。設けているというより、スマートに社会で生きるためにいつの間にかこうやっていた、というだけですが。いわば後付です。が、わかりやすく説明するためにお客様などには以下の様な話をしています。
まず、【食事】という物を3つに分けて考えます。
- 義務としての食事(贅沢な話ですがわかりやすくこう表現)
- 娯楽としての食事(外食など)
- コミュニケーションツールとしての食事
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