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髪を通して世界探索をする、とある美容師の研究日誌 — Field Notes from a Hairdresser's Lab

FILED BY MASASHITT

現役美容師・29年目。サンフランシスコを拠点にヘアサイエンスとエフィラージュカットを探求しながらHair Caffe Labを運営。「科学と非科学、ハイクラスとストリート」—その交差点に挑み美容に留まらない知見と私見をマイペースに綴ります。/29-year hairdresser based in San Francisco. Exploring hair science and the Effilage technique while developing Hair Caffe Lab. Navigating the intersection of science and intuition, high-end and street — writing it all down at my own pace. About this lab →

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彫刻としてのヘアカット——NYドライカットと、二つの流儀が交差した街

2026-03-23 By masashitt カテゴリHAIR WORKS NOTES

HAIR WORKS NOTES |「世界のヘアカット、三つの流儀」#3


前回、パリの話をした。エフィラージュ。「切ったことを見せない」美学。素材の生まれ持つ動きへ追従する、フランスの流儀。
今日は大西洋を渡る。
場所はニューヨーク。時代は1970年代から80年代にかけて。そこにも、濡れた髪で切ることを拒んだ一人の美容師がいた。パリとはまったく別のルートで、まったく別の哲学を持って、「ドライカット」という答えに辿り着いた人物だ。
ジョン・サハグ。
この名前を知っている美容師が、日本に何人いるだろうか。


彫刻家としての美容師

ジョン・サハグ(1952-2005)。本名サハグ・ジャムゴチアン。レバノン・ベイルートでアルメニア人の両親のもとに生まれた。幼少期よりサロンで床掃きから仕事を始め、のちにオーストラリアへ移住した。

18歳でパリへ渡り、著名なサロンオーナー、ベルナール・メリアットと出会い、6年間の契約を結んだ。その時点でイタリアン・ヴォーグに初のエディトリアル作品が掲載されている——18歳にして、だ。

パリとニューヨークを12年間行き来しながら独自のドライカット技法を磨き、1985年、ニューヨークのマディソンアベニューに「ジョン・サハグ・ワークショップ」をオープンした。

オープニングのリボンカットを行ったのはブルック・シールズ。身長188cm、スキンタイトのレザーパンツにポインテッドトゥの靴。ニューヨーク・タイムズは彼を「業界のロックスター」と呼んだ。しかし同時に、トレイシー・ウルマンやグウィネス・パルトローが「クイーンズから来たメリー」と同じ待合室で並んで座るサロンだった。最後の客にはいつもシャンパングラスを差し出した。


なぜ、乾いた髪で切るのか

サハグの哲学の核心は、一行で言える。

「水で濡れた髪は、嘘をついている。」

濡れた状態では、髪が束になり平たく圧縮される。生え癖・うねり・重さ・動き——すべてが覆い隠される。その状態で切ることは、嘘の上に設計図を引くことだとサハグは考えた。

乾いた状態で切れば、カールパターン・ボリューム・生え癖・毛流れがすべて自然な状態で見える。「見たものがそのまま仕上がり」になる。

同僚はこのアプローチを「ペイント・バイ・ナンバーズではなく、フリーハンドでヘアカットをスケッチするようなもの」と表現した。


技術の実際——2時間の彫刻

サハグの施術プロセスはこうだ。

シャンプー後、ブローで完全に乾かす。次に、小さなセクションに分ける——髪の「自然な粒(grain)」を追う単位で。各セクションをアイロンでストレートにし、髪の「真の状態」を確認する。そしてシザーで毛先を垂直にテーパリング。上から切る水平ブラントカットは一切行わない。常に髪の自然な流れに従う。

これを、一本一本の毛束について繰り返す。

一つのカットを終えるのに約2時間。場合によってはそれ以上。彫刻刀で素材を削り出すかのような緻密な作業だ。

仕上がりの特性は際立っている。すべての毛束が計算し尽くされてテーパリングされるため、毛先同士が自然に絡み合い、無重力のような動きを生む。そして驚くべき持続性——3〜6ヶ月間、サロンに通わなくても形が崩れない。スタイリングは不要。毎日、髪が自然に正しい位置に落ちる。(と言われていた。実際には…少し大袈裟だが、ブランドカットと比べて、この様な点で差が大きく出るのは事実だと思う。)

代表的な仕事は語り継がれている。デミ・ムーア(映画『ゴースト』1990年のボーイッシュカット)、グウィネス・パルトロー(映画『スライディング・ドア』1998年のクロップスタイル)、ブラッド・ピット、ミック・ジャガー。ヘルムート・ニュートン、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン撮影の作品も多数。


パリとニューヨーク——二つの流儀の意外な接点

ここで、前回の記事との重要な繋がりを記しておきたい。

サハグがパリで出会ったベルナール・メリアットは、L’OréalとManiatis(マニアティス)の両方と仕事をしていたサロンオーナーだった。サハグはのちに、マニアティスのコレクション(ニューヨーク・パリ・ミラノ)をフリーランスとして担当していた時期がある。

つまりマニアティスは、エフィラージュとNYドライカット——二つの流派の人物が同時代に関わっていた場所でもあったのだ。

二つの技術は同じ時代のパリで、すれ違っていた。


日本への架け橋——山根英治という人物

サハグが2005年に57歳で亡くなった後も、その技法は生き続けた。日本への伝播の中心にいた人物が山根英治(Eiji Yamane)だ。

福岡出身。日本で著名なスタイリストの下で4年半修行し、英語が話せないままアメリカへ渡った。サム・コペルの下で4年学んだ後、ジョン・サハグに紹介された。

サハグはその技量を即座に見抜き、ワークショップに迎え入れた。キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、サラ・ジェシカ・パーカー、オノ・ヨーコらを顧客に持った。

そして彼は、12年以上にわたって日本各地でセミナーを継続した。WORKS NYDC(ニューヨーク・ドライカット)という教育組織を通じ、東京・横浜・福井・福岡などに「ニューヨークドライカット」を提供するサロンが誕生した。日本ではカット単価7,000〜40,000円以上のプレミアムサービスとして定着している。


同じドライカット、違う哲学

ここで一度立ち止まって、二つのドライカットを比較しておきたい。マニアティスとサハグ——どちらも「乾いた髪」を基準に置くが、アプローチは異なる。

マニアティスは、出来る限り元の素材に手を加えずに、生まれ持った髪の流れや動きを素材として、ドライで再彫刻する。極めて細い毛束をシザーの先端で精密に切る。顧客を立たせた状態で全身のプロポーションを把握する。

サハグはカーリングアイロンで各セクションをストレートにし、毛の「真の状態」を確認してから垂直にテーパリングする。

前者は「素材への追従」。後者は「素材の真実の解放」。哲学の出発点は似ているが、到達した技術の形は別物だ。

どちらも、濡れた髪に設計図を引くサスーンとは——根本的に逆向きの発想から生まれている。


そして今、サンフランシスコで起きていること

このシリーズを書き始めたとき、一つの事実を伝えたかった。

20世紀に、別々の都市で、別々の哲学を持って育った二つのドライカット技法がある。その両方の直系の継承者が、現在サンフランシスコの同じサロンで肩を並べている。

フランスの系譜。マニアティス・パリ → 買収・agence21設立(KENZO) → agence21日本アカデミー → 僕はそこで学び(一期生)、渡米

ニューヨークの系譜。ジョン・サハグ → 山根英治(Eiji Yamane) → Michiaki(Hair Caffeオーナースタイリスト)

MichiakiはEiji Yamaneから直接、NYドライカットの技術を継承した人物だ。そして今、同じサロン——Hair Caffe(サンフランシスコ)——で、僕とMichiakiはこの二つの技術を一つの空間で実践している。


これが、このシリーズを書いた理由

多くの美容師が、自分の知っている技術が「カットの全体」だと思っている。僕もそうだった。それは仕方ない事だ。なんせ、インターネットがここまで普及した今でさえ、とにかく情報が無さすぎる。僕も苦労してこのシリーズの情報をかき集めて、ここまでまとめた。この流れは美容史においてとても重要で、見やすい形で後世に残すべきだと考えた。

ロンドンで生まれたサスーンの幾何学、パリで深化したエフィラージュ、ニューヨークで育ったサハグのドライカット——どれも20世紀という同じ時代に生まれた、まったく異なる答えだ。それぞれが「どうすれば髪を一番良い状態にできるか」という問いに誰よりも真摯に向き合い、もがき苦しみ、異なる哲学から辿り着いた解答だ。

どれが「正しい」という話ではない。どれも本物で、どれも深い。

ただ、いくら志し高くとも、存在や選択肢を知らなければ、選ぶことすらできない。

パリとNYという歴史上重要な二つのドライカット技法の交差点——そこが今のサンフランシスコ、Hair Caffeだ。実際に僕とMichiakiは、この二つの技術を一つのサロンで次の次元へ押し上げている。現在進行形で、新しい形が今まさに成熟の絶頂を迎えつつある。ここサンフランシスコで。

それが、このシリーズを書き終える時点で起こっている事だ。

全ての技術は、こうしている今も現在進行形で進化を続けている。

そして、これを読んだ人には気づいて欲しい。これからは業界の繁栄は大きく二極化すると僕は予想している。AIの普及、テクノロジーの進化により、僕たちの仕事もオートメーション化やロボット化しないとは決して言い切れない。そうなると、データでは再現出来ない、他人には真似できない、突き抜けた技術の評価と需要はますます高まり、他と差別化出来ない並のテクニックだけの美容師には、この先地獄しか待っていないと僕は予測している。ライバルが多い日本では尚のことだ。

この記事に偶然出会った人が、より明るい美容師人生を、未来を、自分の手で勝ち取るためのヒントになれば、この上なく嬉しく思う。


「世界のヘアカット、三つの流儀」シリーズ

#1「幾何学と解放——ヴィダル・サスーンはなぜハサミで世界を変えられたのか」
#2「切ったことを見せない」美学——エフィラージュカットとフランスの流儀
#3「彫刻としてのヘアカット——NYドライカットと、二つの流儀が交差した街」(本稿)


📝 免責事項: この記事に登場するサロン名・個人名について、記述の削除や修正を希望される方はご連絡ください。


→ Read in English

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