1950年代のロンドン。美容室に通う女性たちの一週間は、ある決まったリズムで回っていた。
サロンで洗髪して、ロールセットをして、巨大なドームドライヤーの下に1時間以上座り続けて、ラッカーで固めて仕上げ。翌週、また同じことをする。そのエンドレスな繰り返し。ヘアスタイルとは「維持するもの」であり、美容師とは「形を固定する専門家」だった。
それを、まったく違う何かに変えた人物がいた。
ヴィダル・サスーン(1928–2012)。ロンドン東部の貧困地区に生まれ、孤児院で育ち、14歳で美容師の道へ入った。
サスーンが参照したのは「建築」の思想だった
サスーンが革命を起こしたとき、彼の頭にあったのは意外にも建築・デザインの哲学だった。
バウハウス。1919年から1933年にかけてドイツに存在したデザイン学校。「余分なものを削ぎ落とし、機能と幾何学的な形態を融合させる」という思想で、20世紀のデザインと建築の世界に巨大な影響を残した。サスーンはこの思想を、人間の頭部に直接応用した。
彼のコアテーゼは一行で言えるほどシンプルだ。
「Shape before Style(スタイリングの前にシェイプ)」
カットが完璧であれば、ローラーもヘアスプレーも不要で、髪は自然に正しい形に落ちる。洗って、乾かして、それで終わり。
逆に言えば、スプレーとセットで「形を維持する」ことに依存していた当時の美容は、カットの設計そのものが不完全だったからこそ必要とされていた、ということになる。これは当時の美容師への、かなり直接的な批判だったはずだ。
1963年、ファイブ・ポイント・カットが完成した
その思想を最もドラマチックに実証したのが、1963年にモデルのグレース・コディントンに施した「ファイブ・ポイント・カット」だ。目・頬骨・首のラインを強調する5つの鋭いVラインで構成されたこのカットを、サスーン自身は「幾何学的デザインの最も純粋で古典的な形」と評した。
コディントンは後にこう振り返っている。「カットに勝るものは今もない。そしてそれは皆を解放した。ただ自然乾燥して振るだけでよかった」
技術的に分解すると、サスーンのアプローチはこういう骨格を持っていた。
ボトムアップの設計図——まずペリメーター(外周ライン)を決め、そこから重さを加減していく。完成形から逆算して切り進める発想だ。濡れた状態でテンションをかけることで幾何学的な精度を最大化し、ブラントカット(切りっぱなし)で鋭いラインとエッジを際立たせる。ABCシステムと呼ばれる分類——A=ワンレングス、B=グラデーション、C=レイヤー——も彼が体系化したものだ。精密なセクショニングとクロスチェックで、誤差をゼロに近づける。
設計図が先にある。それを人間の頭に施工する。建築家の発想そのものだ。
「ウォッシュ・アンド・ウェア」という社会的な意味
このカットが持っていたのは技術的な革新だけではなかった。
毎週サロンのドライヤーの下に拘束される時間から、女性を解放した。「洗って乾かすだけで決まる髪」——ウォッシュ・アンド・ウェアという概念は、1960年代の第二波フェミニズムの波と共鳴した。マリー・クワントのミニスカートと同じ時代、同じロンドンで生まれたのは”偶然ではない”のではないでしょうか。クワントはサスーンについて「ピルとミニスカートと同じくらい、私たちを自由にしてくれた」と評した。
ヘアカットが、時代の自由の象徴になった瞬間だ。
北米でサスーンの「その後」を見ている
サンフランシスコで美容師として働きはじめて8年以上になる。
北米の美容現場で気づくことがある。ここカリフォルニアでも、日本同様、サスーン式のカリキュラムをベースに教育を受けたスタイリストが、圧倒的に多い。ボトムアップのセクショニング、ウェットでの精密なライン構築——この骨格は今もこの国の標準として生きている。多くの美容学校のカリキュラムは、良くも悪くも、サスーンが設計した「型」の上に成り立っている。
それ自体は悪いことではない。幾何学的な精度を持つカットは強く、再現性が高い。
そしてこれは僕が今でもサスーンカットが世界的な大発明だと感じる部分なのだが、なにより教えやすく、学びやすい。これに尽きる。この点が美容業界の繁栄にもたらした恩恵はとてつもなく大きいものであろう。とてつもなく。
ただ29年間美容師をやってきた感覚として思うのは、この「設計図から入る発想」はあくまでヘアカット全体の思想の一つの極であって、同じ20世紀に、別の極がちゃんと存在していた、ということだ。それを、多くの美容師が、知らなすぎる。知らないんだから、選択の余地もない。僕もその中の1人だった。これには本当に心から残念であり、ここに辿り着きこれを読んだ美容師には、カット技法は一つではない事を是非とも知って頂きたい。
例えば、その他の技法の中の一つは、まず「素材」から入る。髪が「何者であるか」を先に読もうとする。設計図は後から決まる、あるいは最後まで決まらない。
これから話するその他の流派は、パリとニューヨークで、それぞれ別の形で育った。
それが、このシリーズの次の話になる。
「世界のヘアカット、三つの流儀」シリーズ
#1「幾何学と解放——ヴィダル・サスーンはなぜハサミで世界を変えられたのか」(本稿)
#2「切ったことを見せない」美学——エフィラージュカットとフランスの流儀
#3「彫刻としてのヘアカット——NYドライカットと、二つの流儀が交差した街」
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